高山の雛祭は1ヶ月遅れの4月3日に行われます。
雛段には日頃愛用している人形も飾り、
雛膳にはそれらしく料理された御馳走がのり
また「あさつき」を根のついたまま供えますが、
これは雛様が箸がわりに使ったものだということです。
ほかに菱形の白餅、草餅、黍餅、食紅で色をつけた菱餅を飾り
白酒や干いわし、紅白や黄色の雛まんじゅうなども供えられました。
雛あられは正月の花餅を煎って作られ、
ほかに煎った豆や赤飯も炊かれました。
昔の高山の子供たちは
「ひなさまみせてくれ、おぞてもほ〜めるに」
と節をつけて口々にはやしながら日下部家をはじめ雛人形の飾ってある家々を廻って歩いたといいます。また「くばりごと」といって雛道具の重箱などに、せんべいや菓子を細かく割って入れ、お互い贈り合うという遊びもありました。
日下部家の雛祭
日下部家には、文政13年(1830)の年中行事の記録
「年行事」が残っていますが、
これをもとに毎年同じことが行われてきました。
このなかで雛祭に関する記録は、
まず2月中に節句用の白酒が仕込まれ、
18日には雛餅粉と青豆の準備。25日に居間と勝手の掃除、
26日人形を飾る奥座敷の掃除、27日人形の飾りを行いました。
次いで3月1日には白餅と黍餅の餅つきが行われ、
黒豆・青豆・小豆を煎り、干たらを準備し、
2日には雛膳用の御馳走が作られました。
そして3日の節供当日には主人が裃にて高山陣屋へ挨拶にでかけ、
昼には家内で祝いをしました。
翌4日には早々に雛人形が片付けられましたが、これは片付けが遅れると嫁入りが遅くなるということからきているといわれます。
日下部家の雛人形
日下部家の雛人形は、
代々当主のもとへ嫁入道具として持参されたものが多く、
人形の箱には代々の嫁の名が記されたものもあります。
それだけに人形の形、大きさ、年代ともまちまちですが、
これらが同一の雛段上に飾られています。
そのほか子供の玩具であった人形や座敷からくりなども飾られています。
収納箱の墨書から文化、文政の年代のものが中心とみられ、
大きな御殿を中心に雅楽奏者や5人囃、京都の葵祭行列の人形、
けまり人形など王朝風の人形が多くあります。
また別の雛段には明治天皇、皇后両陛下を内裏人形とし、
以下近衛師団長、近衛師団兵、憲兵などを飾っています。
そのほか木目込人形や高山の土雛など代々伝わる人形が
座敷いっぱいに飾られています。
